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日月の巻リターンズ

ひふみ神示の本に不具合が有り日月の巻を飛ばしましたが、パソコンに入ってますので、そちらから抜き出す事にします。

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 目覚めたら其の日の生命お預りした事を神に感謝し、其の生命を神の御心(みこころ)のままに弥栄(いやさか)に仕へまつる事に祈れよ。神は其の日其の時に何すべきかに就いて教へるぞ。明日の事に心使ふなよ。心は配れよ。取越苦労するなよ。心配りはせなならんぞ。 (第十五帖より)

 改心する上での心がけのような一文ですね。人間は今に生きるのですから、今を最大限一生懸命生きる事が大切ですね。それが明日につながります。

今日生きているからと云って、明日も生きているとは限りません。翌日の朝も生きて目を覚ますのは当たり前の事ではありません。

私達は神にこの大宇宙の一角で生かされている身ですから、謙虚に感謝の気持ちを持つ事が大切ですね。

何事にも感謝感謝。

一升桝には一升しか入らぬと臣民思ふてゐるが、豆一升入れて粟(あわ)入れる事出来るのざぞ。その上に水ならばまだはいるのざぞ。神ならばその上にまだ幾らでもはいるのざぞ。神が移りたら人が思はぬ事出来るのざぞ。 (第二十三帖より)

 人は自分の尺度で物を捉えて限界だと諦めたり、可能性を閉じたりしがちですし、固定観念に囚われて視野を狭くしているものです。

人は神の入れ物なのですから、良い器になって神を満たせば素晴らしい可能性を秘めている事間違いなし。改心第一ですね。

コトの初め気付けて呉れよ。夜明けたら生命(いのち)神に頂いたと申してあろがな。太陽(ひ)あるうちはことごとに太陽の御用せよ。月あるうちはことごとに月の神の御用せよ。それがまことの臣民ぞ。生活心配するでないぞ。ことわけて申せば今の臣民すぐは出来ぬであろが。初めは六分国のため、四分自分の為、次は七分国のため、三分自分の為、次は八分国の為、二分自分のため、と云ふ様にして呉れよ。これはまだ自分あるのざぞ。自分なくならねばならぬのざぞ。神人一つになるのざぞ。 (第二十四帖)

24帖ほぼ全文ですが、取り上げてみました。

お日様ばかり見るのではなく、片方だけではなく、一方が有れば必ず反対側にもう一方があるのですから、そちらの事も気を配るべきですね。

何事も急には無理ですので、等身大でそれぞれの色に相応の御用を心がけるのが良いのでしょうね。無理禁物。

一度はあるにあられん事になるのぞ。大将ざからとて油断出来ん。富士の山動く迄にはどんな事も耐(こら)えねばならんぞ。上辛いぞ。どんなことあっても死に急ぐでないぞ。今の大和魂と神の魂と違ふ所あるのざぞ。その時その所によりて、どんなにも変化(へんげ)るのが神の魂ぞ。馬鹿正直ならんと申してあろ。 (第三十一帖より)

神から”あの方”に対しての伝言の様ですが、誰にでも言える事ですね。

死に急ぐな。

武士道、自己犠牲の精神など美しく映りますが、既存の美徳ではなく神の心第一で判断して行動するべきですね。

死ぬ時を自分で決めてはいけません。

また、無謀な行いもいけませんね。

必要な時に、神が判断して引き上げて下さるものです。

神様は臨機応変の対応を神技でこなす御方なのでしょうね、きっと。

神がかれば、愈々の時、誰でもそのように行動するのでしょう。

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