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雨の巻 第1帖

終戦から少し途絶えていましたが、昭和20年10月13日から再開され、雨、風、岩、荒、地震の巻と、タイトルに5柱の神の名が付けられた神示が続きます。

太平洋戦争に関する内容が排除された分、予言の考察につきまして取り違いは減るのではないでしょうか。

今回はこのまま改心をテーマに、予言はおまけ程度に触れていこうと思います。

雨の巻から、これまでとは様相を一変し、文章が長くなりトータルでの解読を必要とされ、一部分を抜粋しての紹介では不都合が出そうなのですが、考えながら進めていこうと思います。

とは言いましても、結局はその場その時のアドリブになってしまう気がします。

とりあえず、今日は1帖やってみます。

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(第1帖)

此の度は昔から無かりた事致すのであるから人民には判らん事であるから素直に致すが一等ざぞ、

 予言の場合、それが何なのかが最大のテーマとなりますね。

ここでは深く追求しません、とりあえず。

惟神(かんながら)の道とか神道とか日本の道とか今の臣民は言ってますが、それが一等の間違いだぞと云っているでしょう。惟神(かんながら)とは神人共に融け合った姿の事ですよ。今の臣民は 神を無くして居るではないですか。それでは惟神も神道もないですよ、心大きく、深く、広く持ちて下さいよ。愈々となるまでは落しておきますから、見当とれませんから、よくこの神示を読んでおいて下さいよ。

 今の人々は神をなくしている。

身魂が曇っている為に、神の入れる器になっていないのですね。

まことを見失っているのですね。

いよいよとなるまでは、厳しい人生が与えられますが、心を大きく、深く、広く持っていて下さいとの事です。

世界じゅうに面目ない事がないようにしなさいと云っているでしょう。足元から鳥立ちてもまだ目覚めないのですか、神示(ふで)裏の裏までよく読みなさいと云っているでしょう。

 「足もとから鳥立つ」につきましては消化不良ですが、状況が時節を示しているのにまだ悟れない事を言っているのでしょうか。

鳥とは「十理」を示しているのと、鳥インフルエンザを掛けているのでしたら面白いのですが、そう言うのとは違うのでしょうね。

此の道は只の神信心とは根本から違うと云っているのです、三千世界の大道です。所の洗濯と身魂の洗濯と一度になる所がありますよ。

 所の洗濯とは、人が住む所の洗濯=大洪水でしょうか。

この世では大洪水でも、他の世界ではどうなるのでしょうね。

神界と霊界が浄化されれば、地上界の土地も浄化される事と思いますが、身魂の浄化は自己責任ですね。

「イスラ」の十二の流れの源泉(みなもと)が判る時来ましたよ。

 岩戸が開ければ、真実の歴史が解き明かされるのでようね。楽しみですが、立ち会えますでしょうか。

命がけで御用をつとめていると思って邪魔ばかりしているでしょう、金や学や智では大峠越を越せませんよ。神は「せよと申すことするなと申すことも」あるのですよ、裏の裏とはその事です。よく心得て下さって、取違いしないで下さいね。

 ややこしいですね。

 神は、「しなさいと言う事をしてはいけない」と言う事もあるそうです。

それが裏の裏だそうです。

それは何なのか、具体的に何処に書かれているのか、今後気にしながら読まなければなりませんね。

手のひら返しますよ、返させますよ。此の度の岩戸開きは人民を使って人民を助けるのです。人民は神のいれものとなって働くのです。それが御用なのです。いつでも神かかれる様に、いつも神かかっていられるようでなければいけませんよ。神の仕組が 愈々となりましたぞ。

 手の平返すとは、ころっと、急激に世界が変わる事を意味していそうですね。

激変で有れば、反動は巨大なものになりそうです。

今度の神の計画は、人が神かかれるかどうかに懸かっているようです。

ですから、神の入れ物となれるよう器を磨くために、改心第一なのでしょうね。

神人共に融け合う喜びの世を向える為に。

読みやすい様に全文を分割して紹介させて頂きましたが、こうする事により突っ込み所が満載になろうかと思います。

鋭いご意見が有りましたら、嬉しく思います。

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