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松の巻より3

松は、日本文化の象徴的な木ですね。

松竹梅として、長寿、目出度さの象徴でもあります。

燃えやすい気であり、また木の皮と実は食べられるそうです。

日本を表すには、なくてはならない松の木であります。

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世が変わったら生命長くなりますよ。(中略)・・・悪の改心、善の改心、善悪の無い世を光の世と言います。 (第22帖より)

神の世は善悪を超えた所にありますが、この世も善も無ければ悪も無い所に行くのでしょうか。

松の世ですね。

ムからウ生れ、ウからム生れるとお伝えしましたが、ウムが組み組みて、ちからが生れるのです。今度の大峠はムにならねば越せないのですよ。ムがウです。世の元に返すのだと伝えているのです。ムに返れば見えすくのです。風の日もありますよ。(第25帖)

先日、田舎さんから頂きましたコメントに、ム「△」とウ「▽」を重ね合わせると六芒星になると教えられ、成る程と目からウロコでしたが、カゴメ紋とかダビデ紋も同じ形ですね。

麻賀多神社の本殿にも、屋根に同じ紋章が付けられています。

共通する何かが流れている証かと思われます。

 無から有が生まれるのか、有から無が生まれるのか古来から議論があったようですが、家に有ります百科事典に有無についての解説が載ってますので、参考までに書いておきます。

ムに辿り着けますでしょうか。

「無」

老荘思想における主要概念で、認識論的観点から、有から無へという思案の中で、結実した考えと、存在論的観念から無から有へという思案の中で結実したものとの二つの考えが有る。
 前者は、時空に制約された人知と、判断の基準たる名辞の相対性に基づく相対論循環論から抜け出て、真の認識に到達するには、認識主体たる自己および認識客体たる物のいずれも放棄し超越して、主客双方を成立せしめている根源的全一者としての道と合一すべきであり、その境地がすなわち無であるとする。
 道が、物の差別を撥無し包摂しつつ、それを個別化するものである以上、道との合一の境地である無は、無でもなく有でもなく、有無を一つに包含した渾然たる状態であると見られよう。
 後者は、前者の考えと、物は自然に変化するという考えを、安易に接合して形成されたもので、万有が生ずる根源が無に他ならないとする考えである。
これは、有から無への思案の中で有無いずれでもないとした無を、一方向に規定し、むしろ有化したものと見る事が出来る。
この後者の考えは、漢代以降の形而上学的考え方では、自明の公理とされ、その中核となっていく。 

 

松の巻は、ここまでとしておきます。

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