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雨の巻 第6帖

(第6帖)

神示をよく読めと、神示をよく肚に入れよと申してあるのですが、神示を肚に入れると胴がすわるのですよ。

世界から何んな偉い人が出て来て何んな事を尋ねても、教へてやれる様になるのですよ。

 無知は恐れを生みますが、無知の知を知ると執着が消え見通しが利きますので、心動かず恐れも不安も無い、といった感じになるのでしょう。神示が肝に入りますと。

目が覚めれば、魂の泉からこんこんと智慧が湧き上がる事でしょう。

神示を胴に入れて頭下げて天地に働いて下さいよ。まつりて下さいよ。素直になれば其の場から其の場其の場で何事も神が教へてやりますから、力つけて導いてやりますから、何んな神力でも授けてあげますよ。

 ”自力ありて他力有り”でしょうか。

実るほどこうべを垂れる稲穂かな。

一二三四五六七八九十百千卍(ひとふたみよいつむゆななやここのたりももちよろず)授け申して神人となりますよ。

我さえよけりゃよいとまだ思って御座る臣民、まだで御座いますよ。自分一人で生きていけませんよ、神許りでも生きていけませんよ、爪の垢でもだてについているのではないのですよ、判らないと申しても余りで御座いますよ。

まつりせよ、地(つち)にまつろへよ、天(あめ)にまつろへよ、人にまつろへよ、草木動物にまつろへよ、と、くどく云っているのに、まだ判りませんか。

神拝む許りがまつりではありませんよ。

 学ぶべき対象は、目の前にいくらでも存在してますね。生活そのものが修行です。

真が通る理で真通理(まつり)と日の出の巻 第17帖にありますが、真ん中の奥に神の座った真と現れ愛と現れ、そして進化を生む。

理屈ではなく理に生きれば、自然と判る事かも知れません。

待ちに待ちし日の出の御代となりにけり、一二三(ひふみ)いろはの世はたちにけり。

 元の世に戻りて、まつりまつりですね。

身慾信心している臣民人民、今に神示が聞けない様に いれものつんぼになるのですよ。きびしくなって来ますよ、毒にも薬にもならん人民、今度は役に立ちませんよ。

悪気ない許りでは一二(ひつき)の御民とはいえません。

あら楽し、黒雲一つ払ひけり、次の一つも払ふ日近し。

 毒が有る事で悪い所が露呈します。

 薬が有る事で悪い所が改善されます。

そうして一歩ずつ進化弥栄へと向かうのでしょうね。

淋しくなったら神示尋ねてみなさい、神示を読まなければ益々判らない事になったでしょう。天国に底がない様に地獄にも底はありませんよ。何処までも落ちますよ。

鼻高の鼻を折らないと、人民が何んと申しても神は承知出来ません。

 鼻高天狗のままでいますと、どこまでも落ちますよ。

機会があったら神示を読んでみて下さい。その時が御縁のあった時です。大切な何かが判るかも知れません。

十一月二十三日、ひつ九のかミ。

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