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48について

08kiyomizudera_115s 清水寺の舞台は、48本の柱で組まれているそうです。

なぜ48本なのか。この数字にどんな意味があるのかと、清水寺に数ある不思議の中の1つとされているようです。

 48と言えば、47,49と共に、ひふみ神示によく出てくる数字です。

神示では、「四十七音(ひふみ)四十八(意露波)」とあります。

48は(意露波)=いろは。だそうです。

では、神示において「いろは」とは何を意味しているのでしょう。

「天は数ぞと申してあろう、地はいろは(意露波)であるぞ。」と、扶桑の巻 第01帖に書かれています。

48は、この地上界でのあり方のようですね。

49は7の7倍。

7は「成る」

7で成り、8で開く。

8で開き(岩戸開き)、九・十へと進む仕組み。

九・十は弥勒の世への始まり。

どうやら、47・48・49は、8で開く前の、準備完了段階を意味している様な感じですね。

そうしますと、清水寺の柱の数は、「この世が、未来永劫の進化と弥栄に向かいますように。この世界にある者として、その為の力になれますように」との、施主と設計者及び関係者の強い思いが込められているのかも知れませんね。

この世での役割としての御用とでも言いましょうか。

それらの方々の思いが無意識のうちに、天の数霊とリンクし、そして四十八本という柱の数となったのかも。

そんな可能性を、ひとつの仮説として取り上げてみましたが、考えすぎでしょうかね。

 問題は、その準備完了がいつの事になるのかですが、終りが次の始まりである事を考えれば、いよいよ。。。

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 直会(なをらひ)も祭典(まつり)の中ぞ。朝の、夕の、日々の人民の食事 皆 直会ぞ。日々の仕事 皆まつりぞ。息すること此の世の初めのまつりぞ。まつれまつれと申してあろが。おはりの御用は はじめの御用ぞ。まつりの御用ぞ。オワリノ十ノヤマにまつり呉れよ。世につげて呉れよ。役員 皆 宮つくれよ。宮とは人民の申す宮でなくてもよいのざぞ。一の宮、二の宮、三の宮と次々につくり呉れよ。道場も幾らつくってもよいぞ。神の申した事、なさば成るのざぞ。宮と道場つくり神示読んでまつれまつれ、まつり結構ぞ。奥山にはオホカムツミの神様もまつり呉れよ。守りは供へてから皆に下げて取らせよ。五柱、七柱、八柱、十柱、十六柱、二十五柱、三十三柱、三十六柱、四十七柱、四十八柱、四十九柱、五十柱、五十八柱、五十九柱、世の元ぞ。八月の二日、アメのひつくの神。
夜明けの巻 第08帖 (328)

 元は十と四十七と四十八とあはせて百と五ぞ、九十五柱ざぞ。旧一月十五日、かのととり、一(ひ)つ九のか三。
岩の巻 第04帖 (369)

四十七音(ひふみ)四十八(意露波)(「四十七ノ四十八」)
ひふみ神示 第十六巻 荒の巻 第一帖

 四十七と四十八で世新しく致すぞ、三人使ふて三人世の元と致すぞ、三人を掘り出すぞ。世に落ちてます神々様、人民様を世にお上げせなならんぞ。悪神の国から始まって世界の大戦(おおいくさ)愈々激しくなって来るぞ。何事も清め呉れよ、清めるとはまつらふことぞ。十一月十六日、ひつ九のかミ。
梅の巻 第07帖 (434)

 今の人民 少しは神示判って居らんと恥づかしい事出来て来るぞ、なさけない事出来てくるぞ、くやしさ目の前ぞ。次の世がミロクの世、天の御先祖様なり、地の世界は大国常立の大神様 御先祖様なり、天の御先祖様 此の世の始まりなり、お手伝いが弥栄のマコトの元の生神様なり、仕上げ見事成就致さすぞ、御安心致されよ。天も晴れるぞ、地も輝くぞ、天地一つとなってマコトの天となりなりマコトの地となりなり、三千世界一度に開く光の御代ぞ楽しけれ、あな爽(さや)け、あなすがすがし、あな面白や、いよいよ何も彼も引寄せるから その覚悟よいか、覚悟せよ、あな爽け、あなすがすがし、四十七と四十八と四十九ぢゃ。十二月四日、七つ九のかミしらす。
梅の巻 第17帖 (444)

 衣類、食物に困った時は竜宮の音秘(オトヒメ)様にお願ひ申せよ。五柱の生神様にお願ひ申せば災難のがらせて下さるぞ、ゆわ、あれ、地震、風、雨、の神様なり、いろはに泣く時来るぞ、いろは四十八ぞ、四十九ぞ。神示はその時の心にとりて違はん、磨けただけにとれて違はんのであるから、我の心通りにとれるのであるから、同じ神示が同じ神示でないのざぞ。悪の世が廻りて来た時には、悪の御用する身魂をつくりておかねば、善では動きとれんのざぞ、悪も元ただせば善であるぞ、その働きの御用が悪であるぞ、御苦労の御役であるから、悪憎むでないぞ、憎むと善でなくなるぞ、天地にごりて来るぞ、世界一つに成った時は憎むこと先づさらりと捨てねばならんのぞ、この道理 腹の底から判りて、ガッテンガッテンして下されよ。三月三日、ひつ九のか三。
空の巻 第08帖 (463)

 四十八柱、四十九柱、それぞれの血筋の者 引き寄せておいて、その中から磨けた者ばかり選り抜く仕組。磨けん者 代りのミタマいくらでもあるぞ。お出直しお出直し。世界が二分ぢゃなあ。もの見るのは額でみなされ。ピンと来るぞ。額の判断 間違ひなし。額の目に見の誤りなし。霊界には時間、空間は無いと申してゐるが、無いのでないぞ。違って現はれるから無いのと同様であるぞ。あるのであるぞ。悪の霊はミゾオチに集まり、頑張るぞ。こがねの巻は百帖ぞ。こがね しろがね とりどりに出るのぢゃ。あわてるでないぞ。(十二月二十七日)一二十
黄金の巻 第073帖 (584)

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コメント

四十七,四十八,四十九は年齢も意味するのは我田引水なんでしょうね…

単にひらめきですが。

投稿: | 2008年10月 5日 (日) 18時08分

お名前は存じませんが、コメントありがとうございます。

我田引水かどうかは分かりませんが、人の年齢だとしますと、そう言えば徳川家光は享年48歳ですので、面白い一致だと思います。

「四十七と四十八と四十九ぢゃ」梅の巻 第17帖
「三人使ふて三人世の元と致すぞ、三人を掘り出すぞ」梅の巻 第07帖

この2つをくっけますと、それぞれの年齢の3人とも取れなくも有りませんね。

 「四十八柱、四十九柱、それぞれの血筋の者 引き寄せておいて、その中から磨けた者ばかり選り抜く仕組」

ただ、こんな記述を見ますと、年齢ではな人数とか、状態、体制を意味しているようにも思えますが、いずれにしても、人類の未来にとって明るい希望で有れば良いですね。

投稿: とっち | 2008年10月 5日 (日) 18時43分

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