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2008年10月

48について

08kiyomizudera_115s 清水寺の舞台は、48本の柱で組まれているそうです。

なぜ48本なのか。この数字にどんな意味があるのかと、清水寺に数ある不思議の中の1つとされているようです。

 48と言えば、47,49と共に、ひふみ神示によく出てくる数字です。

神示では、「四十七音(ひふみ)四十八(意露波)」とあります。

48は(意露波)=いろは。だそうです。

では、神示において「いろは」とは何を意味しているのでしょう。

「天は数ぞと申してあろう、地はいろは(意露波)であるぞ。」と、扶桑の巻 第01帖に書かれています。

48は、この地上界でのあり方のようですね。

49は7の7倍。

7は「成る」

7で成り、8で開く。

8で開き(岩戸開き)、九・十へと進む仕組み。

九・十は弥勒の世への始まり。

どうやら、47・48・49は、8で開く前の、準備完了段階を意味している様な感じですね。

そうしますと、清水寺の柱の数は、「この世が、未来永劫の進化と弥栄に向かいますように。この世界にある者として、その為の力になれますように」との、施主と設計者及び関係者の強い思いが込められているのかも知れませんね。

この世での役割としての御用とでも言いましょうか。

それらの方々の思いが無意識のうちに、天の数霊とリンクし、そして四十八本という柱の数となったのかも。

そんな可能性を、ひとつの仮説として取り上げてみましたが、考えすぎでしょうかね。

 問題は、その準備完了がいつの事になるのかですが、終りが次の始まりである事を考えれば、いよいよ。。。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 直会(なをらひ)も祭典(まつり)の中ぞ。朝の、夕の、日々の人民の食事 皆 直会ぞ。日々の仕事 皆まつりぞ。息すること此の世の初めのまつりぞ。まつれまつれと申してあろが。おはりの御用は はじめの御用ぞ。まつりの御用ぞ。オワリノ十ノヤマにまつり呉れよ。世につげて呉れよ。役員 皆 宮つくれよ。宮とは人民の申す宮でなくてもよいのざぞ。一の宮、二の宮、三の宮と次々につくり呉れよ。道場も幾らつくってもよいぞ。神の申した事、なさば成るのざぞ。宮と道場つくり神示読んでまつれまつれ、まつり結構ぞ。奥山にはオホカムツミの神様もまつり呉れよ。守りは供へてから皆に下げて取らせよ。五柱、七柱、八柱、十柱、十六柱、二十五柱、三十三柱、三十六柱、四十七柱、四十八柱、四十九柱、五十柱、五十八柱、五十九柱、世の元ぞ。八月の二日、アメのひつくの神。
夜明けの巻 第08帖 (328)

 元は十と四十七と四十八とあはせて百と五ぞ、九十五柱ざぞ。旧一月十五日、かのととり、一(ひ)つ九のか三。
岩の巻 第04帖 (369)

四十七音(ひふみ)四十八(意露波)(「四十七ノ四十八」)
ひふみ神示 第十六巻 荒の巻 第一帖

 四十七と四十八で世新しく致すぞ、三人使ふて三人世の元と致すぞ、三人を掘り出すぞ。世に落ちてます神々様、人民様を世にお上げせなならんぞ。悪神の国から始まって世界の大戦(おおいくさ)愈々激しくなって来るぞ。何事も清め呉れよ、清めるとはまつらふことぞ。十一月十六日、ひつ九のかミ。
梅の巻 第07帖 (434)

 今の人民 少しは神示判って居らんと恥づかしい事出来て来るぞ、なさけない事出来てくるぞ、くやしさ目の前ぞ。次の世がミロクの世、天の御先祖様なり、地の世界は大国常立の大神様 御先祖様なり、天の御先祖様 此の世の始まりなり、お手伝いが弥栄のマコトの元の生神様なり、仕上げ見事成就致さすぞ、御安心致されよ。天も晴れるぞ、地も輝くぞ、天地一つとなってマコトの天となりなりマコトの地となりなり、三千世界一度に開く光の御代ぞ楽しけれ、あな爽(さや)け、あなすがすがし、あな面白や、いよいよ何も彼も引寄せるから その覚悟よいか、覚悟せよ、あな爽け、あなすがすがし、四十七と四十八と四十九ぢゃ。十二月四日、七つ九のかミしらす。
梅の巻 第17帖 (444)

 衣類、食物に困った時は竜宮の音秘(オトヒメ)様にお願ひ申せよ。五柱の生神様にお願ひ申せば災難のがらせて下さるぞ、ゆわ、あれ、地震、風、雨、の神様なり、いろはに泣く時来るぞ、いろは四十八ぞ、四十九ぞ。神示はその時の心にとりて違はん、磨けただけにとれて違はんのであるから、我の心通りにとれるのであるから、同じ神示が同じ神示でないのざぞ。悪の世が廻りて来た時には、悪の御用する身魂をつくりておかねば、善では動きとれんのざぞ、悪も元ただせば善であるぞ、その働きの御用が悪であるぞ、御苦労の御役であるから、悪憎むでないぞ、憎むと善でなくなるぞ、天地にごりて来るぞ、世界一つに成った時は憎むこと先づさらりと捨てねばならんのぞ、この道理 腹の底から判りて、ガッテンガッテンして下されよ。三月三日、ひつ九のか三。
空の巻 第08帖 (463)

 四十八柱、四十九柱、それぞれの血筋の者 引き寄せておいて、その中から磨けた者ばかり選り抜く仕組。磨けん者 代りのミタマいくらでもあるぞ。お出直しお出直し。世界が二分ぢゃなあ。もの見るのは額でみなされ。ピンと来るぞ。額の判断 間違ひなし。額の目に見の誤りなし。霊界には時間、空間は無いと申してゐるが、無いのでないぞ。違って現はれるから無いのと同様であるぞ。あるのであるぞ。悪の霊はミゾオチに集まり、頑張るぞ。こがねの巻は百帖ぞ。こがね しろがね とりどりに出るのぢゃ。あわてるでないぞ。(十二月二十七日)一二十
黄金の巻 第073帖 (584)

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清水寺

銀閣寺を後にして、京都大学などを通り過ぎ、清水寺へ。

ここは京都。なんとお寺の多いことか。町内ごとに、1丁目2丁目の各丁ごとにお寺があるのではないかと思うほどにお寺が多いのが印象的でした。

それも、どのお寺も大きく立派なのには驚きです。

無事に到着。気温が高いので着ていた長そでのシャツを脱ぎ、半袖1枚に。

08kiyomizudera_069s お山の入口。

清水寺の入り口は、こんなに大そうな造りだったんですね。

08kiyomizudera_075s 08kiyomizudera_077s 08kiyomizudera_079s

08kiyomizudera_083cs 神社でもないのに立派な龍が設置されてますね。

形も凝ったものになってます。

さて、手も清めて舞台の有る本堂へ。これまた山登りの様なものです。

さすが京都観光のメインディッシュ。凄い観光客の数です。

08kiyomizudera_095s 巨大な木造建造物です。

清水寺の起源は古いのですが、度重なる火災などで失われ、現在の物は1633年に徳川第3代将軍の家光が建てたのもですが、当時の徳川がいかに力を持っていたかが分かりますね。

08kiyomizudera_100s 清水寺の舞台を明るく照らすおでこ。

ちなみに、写っている女性は知らない方です。

08kiyomizudera_088s お寺を歩いて思いましたが、お城を思わせる程の規模で作られた石垣と通路を見ていると、この清水寺も要塞として機能するよう作られているのかなとの印象を受けました。

お寺は平和を願う場であると同時に、歴史上、戦の際には籠城して敵を迎え撃つ為の施設としても使われてきました。

宗教は民衆統制と洗脳、そして軍事目的の施設と、権力維持の為に大いに利用されてきましたが、この清水寺も例外ではないようですね。

08kiyomizudera_090s 拝む観光客

08kiyomizudera_109s なにやら飲むとご利益がある湧水でしょうか。長蛇の列です。

女房がとても興味深げに見てましたので、「待ってるから行っといで」と言ったのですが、「いい」といってやせ我慢してました。

08kiyomizudera_114s 釘を一切使わず、48本の柱で組まれているそうです。

この48という数字には意味が有るのではないかと言われている様です。

48について、後に取り上げるかも知れません。

観光も3か所終了時点で夕方4時を過ぎましたので、これで打ち止め。

もう1箇所神社を予定していたのですが、予定外の山登りもあり疲れましたし、名古屋へ行ってから明日の朝までに帰らなければなりませんでしたので、仕方なし。

京都をがっつり観光するのでしたら泊まりがけでたっぷり2日は欲しい所ですね。半日では舞妓はんも見る事が出来ません。

名古屋に寄って、夜中の12時半に親戚の家を出て帰りました。

朝の5時に家に着き、速攻で寝ましたが、起きてからしばらくは車に乗っているかのように体がふらふらと揺れていました。

久々の徹夜ドライブは、結構ダメージありました。。。

深夜の東名高速は90%以上と、ほとんどが長距離輸送のトラックで占められていましたが、皆さん、80~90キロのスピードを維持して巡航していました。

昔は空のトラックでしたら凄い勢いで走るトラックが多かったと思いますが、今は燃料代が高いのでエコノミー運転に徹しているのでしょうね。

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そうだ、京都へ行こう。車で・・・金閣寺・銀閣寺

先週ですが、女房が名古屋の親戚に会いに行くついでに京都へ行こうかと言いだしました。

きょ、京都@@

ついでと言うには遠いですが、行ってみたい。

という事で、高校の修学旅行以来、○×年ぶりに京都へ行く事になりました。

金曜日の朝5時に出発。

金閣寺、銀閣寺、清水寺。最低これだけは見ようとカーナビの目的地を金閣寺に設定。

その距離460キロ強。

道は順調。

東名高速走行途中、浜名湖で気になる筋雲を発見。女房に写メ撮れるか打診しましたが、走ってたらちゃんと撮れないと、写真は断念。

昨日北海道で震度4が有りましたが、雲との関係は分かりません。

 さて、無事に午前11時半頃に金閣寺の駐車場に到着。

車内でお弁当を食べて落ち着いてから見学です。

金閣寺

08kiyomizudera_001s

駐車場から見える大文字。

車で行くと、なんだか仕事の延長みたいで、日本はどこを走っても同じようなもんだなぁと思っていたのですが、この大文字を見た時に、京都に来たんだなぁと実感しました。

ところで、名古屋はこちら関東と同じような感覚で走り易いのですが、京都のドライバーは思わぬタイミングで方向転換したり、車線変更でウインカーを点けなかったりで、路駐が多い事もあり走りにくい印象がありました。

どこかの田舎を走っているような感覚でした。

08kiyomizudera_003s けっこう広い入口前の風景。

門をくぐると外国人観光客と修学旅行生が沢山いました。

08kiyomizudera_022_c 池の向こうにど~んと見えました金閣寺。

見た瞬間、キンキラピカピカで強烈なインパクトを受けました。

08kiyomizudera_023_cs

08kiyomizudera_029s

近くで見てもピッカピカです。

観光客でごった返す金閣寺を後にして、金とくれば銀も見なければと、銀閣寺へ。

距離にして7キロ程だったと思います。

銀閣寺

車を2時間500円の民営パーキングに止め、おばちゃんに料金を前払いし、お寺へ向かいました。

08kiyomizudera_052s 苔が美しく綺麗に整備された庭園。

そして銀閣寺は・・・、大改装中でした@@08kiyomizudera_045s

ちょっとがっかりしましたが、ここまで解体された姿は資料としても貴重ですので、近くから何枚か写真を撮っておきました。

08kiyomizudera_060s 足場に囲まれた銀閣寺。

屋根にはまだ瓦が無いようです。

08kiyomizudera_065s

こんな木がありました。

ねじれている上に屈折しています。

私の心もこんなんでしょうかぁ~?

銀閣寺見学はほとんどが庭園の山登りの様なものでして、お年寄りにはきついコースとなっております。

修学旅行の小学生も疲れたと言いながら歩いていましたが、山の途中に願い事が叶うという祠があって、元気な女の子が「マネープリ~~ズ!!」と大声で叫んでいました。

私の失笑を買ったのは言うまでもありません。

08kiyomizudera_042s 私達も若干疲れましたので、早めに次の清水寺に向かう事にしました。

駐車場に戻ると、おばちゃんに「もうお戻りですか」と言われました。

清水寺に向かうにはどう出ればよいかを教えてもらい、銀閣寺を後にしました。

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泣き塔

神奈川県鎌倉市の深沢に、「泣き塔」と呼ばれる石塔があります。

Nakitou_012s_2 場所はJR大船工場敷地内に有る運動グランドの脇(写真右)に有る、小山といいますか、丘の上に有ります。

丘の周囲は鉄柵で囲まれおり、入口にはカギが掛けられています。

「泣き塔」 鎌倉市の指定有形文化財。

拡大写真ですので、写りは良くありません。Nakitou_011_c

敷地内に入るには、事前にJR清算事業団に連絡し、施錠の番号を聞く必要があるそうです。電話番号は045(441)0981。

Nakitou_013s Nakitou_008s 事前にネットで調べて、グラウンドが市に払下げされた為に自由に出入り出来ると思って行ったのですが、現場に来て出入り出来るのはグラウンド内の事で、丘の中には入れない事が分かりました。

策は私の胸ほどの高さしかありませんので、乗り越えて入ろうと思えば簡単なのですが、結界に無礼な形で入ることはせず、外から遠巻きに写真を撮ってきました。

Nakitou_010_cs 石塔の右側に、4つの小さな供養塔が置かれていますが、私が撮影した場所からは見えませんでした。

梶原景時の供養塔だそうです。

「泣き塔」の由来

ここ深沢は、鎌倉時代の末期の1333年に、大軍を率いて鎌倉に進軍する新田義貞と迎え撃つ北条軍とが壮絶な戦いをした「州崎の戦い」の場となった古戦場でして、泣き塔はその激戦の中心となった地に立てられています。

新田軍を6万の兵で迎え撃った北条勢ですが、丸1日に60回もの戦闘が行われ、6万あった北条の兵が300まで激減するという激しいものとなり、敗れた北条側の武将は敗走し、自害する者もあったそうです。

この戦で亡くなった方々の霊を慰める為に石塔が立てられたと言われてます。

形の良さと、1356年と刻まれた年号から、国の重要美術品に指定されているそうです。

 そんな塔なのですが、この土地の地主となった人が必ず貧乏になるので次々と地主が変わったそうです。

仕方がないので、場所がほど近い青蓮寺に移設したのですが、夜な夜なすすり泣きが聞こえます。

住職は驚き、「これは元の場所に戻りたくて泣いているのだろう」と判断し、村人と相談したうえで元の場所に戻したそうです。

それ以降泣き声は無くなったのですが、一方で、この塔の傍に有るやぐらに風が当たる音が塔に反響し泣くように聞こえる事から、「泣き塔」と呼ばれるようになったとの説もあるそうです。

・この塔を見ると祟りに遭う。

・この塔を見ると、数日以内に幽霊を目撃することになる。

・また、横須賀海軍工廠深沢分工場が造営された時に塔を撤去しようとした人間が次々と不審な死を遂げた。

とも伝えられています。

これらの言い伝えは周辺地域を開発から取り残すほどの影響を与えましたが、今ではモノレールが走り、地域一帯は賑わっています。

意外と、JRがグランドを手放したのは、経営不振とか工場内の事故とか、何か気になる事があったのかも^^

泣き塔は指定文化財であるにも拘らず、ガイドブックには載っておりませんが、鎌倉のウォーキングコースとして散歩のイベントで訪れたり、肝試しで訪れる人も居るそうですが・・・

Nakitou_007_c うーん、http://www7.plala.or.jp/SHONANJIJII/p11/index.html

後でこちらのサイトを見て分かったのですが、丘への登り口に白い看板が有るのですが、私が見たのは縁取りの木枠だけになっていました。

本来はきちんとした看板だったようです。

自然に朽ちたのでしょうか。それとも、誰かが壊したのでしょうか。

管理と整備がどの様な仕組みになっているのか分かりませんが、歴史を伝える貴重な遺跡ですので、大切にしたいものですね。

保存するには人々に知られない方が良いのか、それとも有名な場所にして管理体制を強化した方が良いのか分かりませんが、場合によっては、私も何か出来る事があれば立ち上がっても良いかなと思っています。

あんまり場所が荒れると、また塔が泣き出すかも。。。

 

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