« 北の宝と南の宝 | トップページ | 疲れ目・・・ »

金太郎さんと寿命談義

人類の寿命は140歳が限界とされていますが、真実はどうなのでしょう。
本来はもっと長生きの資質を有しているとしたら。。。
一番最後に、金太郎さんが探して下さった「命」に関する神示を載せてますので、永遠の生命について哲学しては如何でしょう^^

それにしましても、世界のどこかに時空間を自由に飛び回っていたり、想像を絶する年齢の人物が存在しているとしたら、人生観が変わりますよね。

調べたい事が有って北海道の民話を調べていたところ、偶然に鳥取の儀左衛門に目が留まりました。

儀左衛門さんは、209歳まで生きたとの事。
およよ@@。本当なのでしょうか。

鳥取と言えば金太郎さん。
さっそくメールしました。

金太郎さんによりますと儀左衛門さんの息子さんに当たる方のお墓が有るそうですので、実在の人物であった可能性は高そうですが、年齢に関する記録は非公式扱いになるようです。

(とっち)
「鳥取県の儀左衛門(ぎざえもん)さんって知ってる?1841年(天保12年)に、二百九歳の誕生日をむかえたそうだけど、実在した人かな?」

(金太郎さん)
「ぎざえもんさんの話はケータイでも検索出来るんだね!

下のURLでおもしろ雑学が読めるよ♪」
http://thats.cc/?a=l&i=119

(とっち)
お疲れ様~

お百姓さんなんだね。
年齢がある程度事実だとしたら、普通の地球人なんだろうか(^^;)
浦島系の民話が脳裏を過ぎるね。
情報ありがとさん^^

(続けてとっち)
お疲れ様。
>
>北海道の民話を探していて、偶然儀左衛門を知ったんだけど、このサイトから長
>寿関係の興味深い話を2つ紹介~。
>~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>
>
>http://hukumusume.com/douwa/pc/minwa/05/04.htm
>
>《長生きじいさん》
>宮城県の民話 → 宮城県情報 <http://hukumusume.com/jap/004_miyagi.htm>
>
> むかしむかし、ある村に、とても不思議なおじいさんがいました。
> このおじいさんは二メートルもある大男で、たいへんな物知りでした。
> 何をたずねても、すぐに答えてくれるのです。
> おじいさんは自分の家は持たずに、村の大きな家に何日か世話になると、そこ
>を出て、またほかの家に世話になるというくらしをしていました。
> 近くの村でも、同じように世話になっていました。
> おじいさんの好きなことは、白い紙に字を書くことと、源義経(みなもとのよ
>しつね)が活躍(かつやく)した、むかしの合戦(かっせん)の話しを話して聞かせ
>ることです。
> その話し方がまた上手で、まるでそこに自分がいて、見てきたように話すのです。
> 自分では年を口にしたことはありませんが、このおじいさんは、だれに対して
>も自分の子どもを呼ぶように、「せがれ」というのです。
> お寺の和尚 <../terakoya/16.htm>(おしょう)さんなどは、百七歳まで生きた
>のに、やはり「せがれ」といわれて、親しくつきあっていました。
> ある時、将棋(しょうぎ)をさしていて、おじいさんはふと、
>「そうそう、そういえばあの時、正左衛門(しょうざえもん)がな・・・」
>と、二百年も前の人の話しを始めたのです。
> 不思議なおじいさんでしたが、ある年、ポックリと死んでしまいました。
> けれども、それから二十年ほどたったある時、村の人が仕事で京の都へ出かけ
>ると、そこにはあのおじいさんがいて、いろいろと話をしたというのです。
> それからも、あちこちでこのおじいさんを見たという人が現われました。
> このおじいさん、もしかすると、まだ生きているのかもしれませんね。
>
>※ むかしから長生きをした人の話は多く、江戸時代の書物には、鳥取県の儀左
>衛門(ぎざえもん)は1841年(天保12)に二百九才の誕生日をむかえたと書かれてい
>ますし、愛知県の満平(まんぺい)は、1796年(寛政8)に百九十四才になったと書
>かれています。
>
>おしまい
>
>http://hukumusume.com/douwa/pc/minwa/03/12.htm
>
>《八人浦島物語》
>富山県の民話 → 富山県情報 <http://hukumusume.com/jap/016_toyama.htm>
>
> むかしむかし、黒部谷(くろべだに)の山里に、とても碁(ご)のすきな八人の男
>がいて、毎日ひまさえあればパチリパチリと、碁石(ごいし)を打っては楽しんで
>いました。
> ある日のこと、いつものように碁をしていると、一人の老人がやってきて、
>「わしも碁がすきでな。一つ打たせてはくださらないか?」
>と、頼んだので、
>「ああ、いいですよ」
>と、仲間に入れると、これがなかなかの腕前で、一番強いといわれる男とやって
>も、まったくひけをとりません。
> 老人はそれから毎日くるようになり、みんなと碁を楽しんでいました。
> 一年ほどたったころ、八人の男たちは老人の家にまねかれました。
> 老人の案内で谷をすぎ、崖(がけ)や淵(ふち)を渡っていくと大滝(おおだき)の
>前に出ました。
>「この滝の中に隠れ道がある。わしに続いて滝をくぐってくだされ」
> 老人がこういってヒラリと滝をくぐったので、村人たちも続いてくぐり抜ける
>と、岩の洞穴(どうくつ)がありました。
> その中を進んでいくと、りっぱな黒門(くろもん)に囲まれたご殿(てん)が見え
>ました。
> それが老人の家で、男たちは人びとに出迎えられて奥座敷(おくざしき)に通さ
>れると、たいへんなごちそうのもてなしを受け、そのあと碁をして遊びました。
> 夜は夜で、絵のように美しい娘たちが三味線 <../terakoya/38.htm>(しゃみせ
>ん)、胡弓(こきゅう)、尺八(しゃくはち)を伴奏(ばんそう)にしておどり、天に
>ものぼる心地です。
> そのような日を過ごして二日後、村人たちは家に帰ることにしました。
> 老人は、名残りをおしみ、
>「それでは、世にもめずらしいごちそうをさし上げましょう」
>と、いって、頭と顔が人間で、胴がタイのような人魚 <../terakoya/90.htm>の
>料理を出しました。
> 気味悪く思った村人たちは、それを食べるふりをして紙につつみ、もときた道
>をたどって滝の外に出ると、紙づつみの魚を川にすてました。
> さて村に帰ると、たった二日のはずが、なんと二年もの月日がたっていたのです。
> ところで、八人の中でただ一人、紙づつみを持ち帰った男がいました。
> その家の娘がそれと知らずに紙づつみの魚を食べたところ、何年たっても若わ
>かしく、なんと三百歳まで長生きしたという事です。
> それはきっと、不老不死の薬と言われる、人魚の肉を食べたためでしょう。
> それからあの老人は、二度と村には姿を見せませんでした。
>
>おしまい

(金太郎さん)
ふたつめの話は米子市の八百比丘尼の話に似てるね。
こっちは実際に神社に参って来たし、福井のほうにも似たような話しはあったよ

(とっち)
八百比丘尼は、人魚の肉を食べて800年生きた話だよね。
お土産が出るのは浦島と共通するね。
なぜだか不思議だね?
福井の話はどんなのかな。

(金太郎さん)
八百比丘尼は浦島みたいにおみやは出ないよ。
庄屋さんが自分の娘に人魚の肉を食べさせたとかって話しだったから。
これは以前、乙姫伝説の話をメールしてくれたサイトの中にあったと思うよ。
福井も同じような話しだと思うけど、本家本元が敦賀のほうみたいだよ。

儀左衛門さんの話ではないけど、こんなブログ見つけました。
いろいろと長寿の方の名前が出てくる出てくる(^^;)

http://s03.2log.net/home/mri/archives/blog128.html

もう1つ!
今度はウィキペディアで

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%AF%BF

(とっち)
いろいろありがとです。
天海僧正の話は有名だよね。明智光秀説。
空海さんも、まだ生きていると信仰されているし。
信長は本当に本能寺で死んだのかとか、歴史はミステリアス。

オカルト的には、遺伝子的に限界といわれている140歳を超える長寿の伝説が幾つかあると面白い事が分かるかもしれないね。

浦島太郎的な民話って日本海側が多いのかな。
これは神示の「富士は晴れたり日本晴れ」の日本と関係あるのかも。

http://www.city.obama.fukui.jp/KIKAKU/800/index.html
それと、ここでは八百比丘尼をアニメで見れるのだけど、人魚の肉を重箱に詰めて運んでいるのが書かれているね。
先ほど紹介した民話も含めて、玉手箱、重箱、折詰の箱など、箱(BOX)にキーワードがあるのかな。
これは神示の「びっくり箱」と繋がるのかも。

もう一つ気になるのは、人魚。
人類と魚類に共通する何かしらの遺伝子が寿命操作の鍵だったりしてね。
それが「宝」なのかも?

寿命で神示を抽出してみようかな。。。

(金太郎さん)

お疲れさまです^^

「命」で検索して、その中から長寿に関する帖をピックアップしました。

--------------------

下つ巻 第35帖 (077)
 何もかも持ちつ持たれつであるぞ、臣民喜べば神も喜ぶぞ、金(きん)では世は治まらんと申してあるのに まだ金追うてゐる見苦しい臣民ばかり、金は世をつぶす本ぞ、臣民、世界の草木まで喜ぶやり方はの光のやり方ぞ。臣民の生命も長うなるぞ、てんし様は生き通しになるぞ、御玉体(おからだ)のままに神界に入られ、またこの世に出られる様になるぞ、死のないてんし様になるのぞ、それには今のやうな臣民のやり方ではならんぞ、今のやり方ではてんし様に罪ばかりお着せしてゐるのざから、この位 不忠なことないぞ、それでもてんし様はおゆるしになり、位までつけて下さるのぞ、このことよく改心して、一時(ひととき)も早く忠義の臣民となりて呉れよ。八月の三日、ひつ九の。

黒鉄の巻 第34帖 (652)
 祈りは弥栄であり、限りない生活であるぞ。生命のイキであるぞ。祈りから総てのもの生れるぞ。誠の喜びの祈りからはが生命し、かげの祈りからはが生命するぞ。人祈れば神祈り、人為せば神なる道理ぢゃ。禁慾は神の御旨でないぞ。慾を浄化して、生めよ。産めよ。今の人民、慾の聖化を忘れて御座るぞ。慾は無限に拡がり、次々に新しきもの生み出すぞ。慾を導けよ。自分だけならば五尺の身体、五十年の生命であるが、霊を知り、宇宙の意志を知り、神にとけ入ったならば、無限大の身体、無限の生命となるぞ。マコトの嬉し嬉しのよろこびとなるのであるぞ。(旧九月八日)

春の巻 第09帖 (666)
人民には分別与へてあるから反省できるのであるぞ。反省あるから進展するのであるぞ。ほっておいても、いらんものは無くなり、いるものは栄へるのであるが、人民の努力によっては、よりよくなるのぢゃ。省みねば生れた時より悪くなると申してあろうが。慾、浄化して喜びとせよ。喜び何からでも生れるぞ。広い世界に住めば広く、深い世界に住めば深く向上する。物の世界から霊の世界へ、無限の世界へ入るから無限の生命が与へられるのぢゃ。無限の喜び得ること出来るのぢゃ。無限世界とは物と霊との大調和した、限りなき光の世界ぞ。真理を知ることが、無限を得ること。まことの神をつかむことぞ。よいものつくるには大き手数かかるのぢゃ。ふところ手でいては出来ん。手出せ、足出せよ。

碧玉の巻 第06帖(870)
わざわひと言ふものは無いのであるぞ、光をわすれ、光にそむくから、イヤな事がおこるのぢゃ、影がさすのぢゃ、禍とか悲しみとか言ふくらい(暗い)ものがないのがマコトであるぞ、中心は無と申してあろう。中心は見えんから、判らんから、外のカスばかり見てゐるからつまらんことで、つまらんことが起ってくるのぞ、その見えぬ力が永遠の生命と現われるのであるぞ、見えるものは有限ぢゃ。この世の大泥棒をタカヤマぢゃと申して、この世を自由にさせておいてよいのか、元の元の元をよく見極め、中の中の中の見えぬものを掴(つか)まねばならんぞ、そこから正さねば外側からばかり清めても何もならん。

|

« 北の宝と南の宝 | トップページ | 疲れ目・・・ »

ひふみ神示」カテゴリの記事

コメント

とっちさん、お疲れ様です^^

あのぉ、訂正を入れさせて下さい。
儀左衛門さんのお子さんは息子さんで、徳を積まれた方で史蹟研究もされたそうですよ。
ただし、長生きされた儀左衛門さんが佐野儀左衛門さんと同一人物ならの話ですが・・・


投稿: 金太郎 | 2008年1月17日 (木) 00時38分

金太郎さん、さっそくご指摘ありがとうございます^^
お陰様で面白い話題を書く事ができました。
修正しましたので、ご確認下さいませ。

投稿: とっち | 2008年1月17日 (木) 00時48分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 金太郎さんと寿命談義:

« 北の宝と南の宝 | トップページ | 疲れ目・・・ »